2016/05/23

雄勝法印神楽保存会

延徳2年 千葉家四十一代目延命院玉岸秀峰石峰山修験開山 
     里宮薬師堂を一明院へ改称
元文4年 「御神楽之大㕝」林鐘十二世之秀盛(千葉家五十代目) 壽教写之
大正元年 「十五浜神楽団」として結成される
昭和26年 「雄勝神楽保存会」に名称変更
昭和27年 旧雄勝町の無形文化財に指定
昭和51年 「雄勝法印神楽保存会」に組織再編
平成8年   国指定重要無形民族文化財に指定
平成23年 東日本大震災大津波により道具の流失等の壊滅的被害を受ける
平成25年 国立劇場単独公演  東京都 皇太子殿下ご夫妻観覧

約600年の歴史を持ち、雄勝法印神楽は、天台宗羽黒派修験「桃生十法印」の大浜「市明院」千葉家、雄勝浜「金剛院」小田家、大須浜「大性院」阿部家に伝わって来たものです。

特徴は太鼓二人と笛一人で、ゆったり優雅に舞う場面と力強く勇壮に舞う場面があり、反閇(へんばい)といわれる足さばきや寅と呼ばれる足踏み、他の法印神楽では行われなくなった「湯立の神事」等を今もなお厳しく守り、指で印を結ぶなど修験道独特の古風さを今なお残しています。

内容は日本書紀、古事記の神話から取り入れられ、宇宙や地球の成り立ちから、神々の誕生や活躍等ドラマチックなものとなっています。

東日本大震災により神楽道具の殆どを失い、存続が危ぶまれましたが、多くの励ましや支援を受け、一つ一つ道具を揃え、今日に至ります。

保存会会員によって神楽は継承され、後継者育成も一般及び雄勝町の小中学児童生徒にも行っています。石巻市雄勝町において春と秋に行われている各神社の例大祭で主に奉納され、地域の協力のもとに今日まで受け継がれています。


関連ページ
石峰山 石神社・葉山神社パンフレット (2015年発行)
雄勝法印神楽 パンフレット (2013年発行)

関連サイト
石峰山 石神社・葉山神社
法印神楽な奴



2016/05/22

雄勝町胴ばやし獅子舞味噌作愛好連

雄勝町伝統伝承芸能胴ばやし獅子舞は、室町時代後期からとも言われており、
約600年もの昔より伝承されている獅子舞です。
雄勝町には、国指定の重要無形民俗文化財の雄勝町法印神楽がありますが、
その雄勝法印神楽の三十三番演目のひとつにかぞえられており
雄勝町六区内の神社の祭典後には、必ず獅子舞が舞われたと伝えられております。

現在では、一月正月に春祈祷として雄勝町六区内で新山神社に集結し宮司のお祓いの後、
各地区に分散し地域の一大行事として家々を廻り一年の悪厄退散、家内安全、
交通安全、商売繁盛、無病息災などのお祓いを神事行事として現在でも行われております。

近年では小中高学生にも伝承され又、社会福祉、地域活性、青少年健全育成にも役立っています。


2011年3月11日に発生した東日本大震災の大津波で全てを流失する。

「すすふり やんねげねっちゃ」
(獅子振り(獅子舞) やらねばいけないじゃないか)

「ししがっしゃ どが ねーべや!なんずぬすてやんの!」
(獅子頭とか(流されて)無いじゃないか!どうやってやるんだよ!)


震災で大きなダメージを受けた雄勝町六区内で唯一ある程度の戸数(25戸)が残った味噌作。平成23年、「愛好連」のメンバー同士で顔を合わせるたびその話題が話されました。
味噌作の地区会である「親交会」の解散も決定し、
「雄勝町胴ばやし獅子舞味噌作愛好連」としての存続も危ぶまれていました。

八方塞がりな状況の中、「やんねげねっちゃ」の声が無くならなかったのは
復興計画が遅々として進まず暗い話題が多い中でも「雄勝の再生を祈念したい」
「地元の役に立ちたい」という気持ちが強くあり、
なによりも「みんなの笑顔が見たい」と愛好連メンバー各自がそれぞれ思っていたからです。

獅子頭を河北町から、太鼓を他団体から借り受け
平成23年6月「第2回おがつ復興市」に出演。
その後、石巻地区文化協会連絡協議会を通じ日本財団様より楽器装束一式をご支援いただき、平成24年11月、再建された新山神社の秋の祭典で奉納演奏。
そして平成25年正月、念願の春祈祷を再開できました。
地区内の19戸はもとより雄勝の方々が住んでいる仮設住宅を回り
獅子舞にて悪魔払い、家内安全を祈願してまいりました。

代表
川田徳雄

関連ページ
「雄勝町胴ばやし獅子舞味噌作愛好連」のドキュメンタリー映像





雄勝町伊達の黒船太鼓保存会

1991年5月、宮城県桃生郡雄勝町(平成17年石巻市に広域合併)
町制施行50周年記念事業のひとつとして発足された創作和太鼓の団体。
観光客誘致の起爆剤としての役割を担い、地域の活性化と町民の誇れる文化活動を推進し精力的に演奏活動をしていました。

2011年3月11日に発生した東日本大震災では稽古場の雄勝公民館は全壊。使用していた楽器、衣装とも流され会員も被災しバラバラになり、一度は下を向いてしまいました。
しかし、様々な方々の支援と応援によって勇気を戴き地域の芸能として有るべき立ち位置を改めて胸にし活動を再開することができました。

流失した和太鼓の補充、修理は日本財団より支援をいただき、主になる衣装はコシノ・ジュンコ氏にデザインを手がけていただき、その原材料費などは日本ユネスコ協会連盟に支援していただきました。

そして、本当に様々の方々のご支援により今ここに立て、太鼓を土響かせることができています。

雄勝町の伝統になる芸能を次世代へ引き継いてもらう為の育成、雄勝町を知ってもらう為、そして町を離れざるを得なかった人達への心の篝火となるべく、400年前に伊達政宗公が密かに気に入ったこの雄勝から様々な御縁をつなげ、育てていけるよう「伊達」を胸に太鼓の音を響かせていきます。

国内外で精力的に演奏活動をする中で雄勝中学校で和太鼓指導も継続し後継者の育成をしている。また震災後に雄勝町胴ばやし獅子舞味噌作と協力し雄勝町内の獅子舞の実態調査や記録活動も行っています。


関連ページ:
[資料]伊達の黒船太鼓 - 新春和太鼓 みやぎの響き 「図南の響」「祝賀の舞」新曲発表 (1992年発行)

[資料]伊達の黒船太鼓 - 「赤心黒波」結成10周年祈念公演 (2001年発行)


公式サイト:
雄勝町伊達の黒船太鼓保存会



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